訪れたのは小春日和の某日。
九州横断道路を上って、鉄輪温泉入口を右折。大谷公園の市営駐車場に車を停めると、いそいそと「いでゆ坂」を下る。
バッグに入れた石鹸とタオルが石畳のリズムで小さく弾むのを感じながら、目指すは渋の湯へ。
日本瓦がどっしりかかる温泉山永福寺の板壁が見えたらすぐ隣。渋の湯は、毎年9月に行われる「湯あみ祭り」で、木像の一遍上人さまが“入浴”する湯としても知られる。上人さまをも、疲れを癒す鉄輪の湯、なのかしらん?
迎えてくださるのは、穏やかなお顔のお薬師さま。渋の湯の引き戸を開くと、まず見えるのはずらりと並んだ組合員の方々の名札。組合とは、温泉が生活のなかで根づいている別府ならではの助け合いの仕組み。つまりは、当たり前ではない温泉の恵みを、地元の方々が大切に受け継ぎ、守られているという証だ。
立ち寄り湯として入浴させていただく一般客の私たちはロッカーの利用料100円が入浴料となる。
「こんにちは」と声をかけて、浴場へ。けして広くはないが、簡潔で、さっぱりと洗い上げられた昔ながらのタイルが懐かしい。先客は、馴染みとみえるご婦人がひとり。どうぞとこころよく招き入れていただき、まずはからだを洗う。
そうっとからだを沈めると、無色のさらりとした湯が肌に優しい。湯を両手ですくい、顔にあてると、ほんのり塩気を含んでいることがわかる。渋の湯の泉質はナトリウム塩化物泉。体温を逃がしにくく、湯冷めしにくいのが特長だ。
顔を上げると、開いた窓から光が射し、湯気のカーテンが透けて揺れる。思いっきり手足を伸ばして、長く、大きく息をつく。
温泉は、いい。渋の湯は、いい。
これまでも、これからも、日常のなかで生きていく人々の暮らしがそこにあって、硬くなったこころをとろりと溶かす。
さてさて、いい具合に茹であがったところで身を湯から抜く。
タオルで拭きあげると、さらさらと新品になった肌があらわれるのに驚く。からだは熱すぎもせず、ちょうどよくあたたかいのに、すぅっと汗が引く清涼感は、きっと渋の湯の恩恵だ。
(もちろん、その効果は皆さんの肌で確かめてほしいのだか)
「もう上がるんかえ」と笑うご婦人の声に照れ笑いを返して、外へ。のんびりと待っていてくださったお薬師さまに「すこしは美人が続きますように」と無理な手をあわせ、心ばかりのお賽銭をちゃりん。
すぐさま慌ただしい風が鼻をかすめて、またもややれやれと思う自分に、また来なさいと聞こえた気がする、というのはきっと出来すぎなんだろうな。
2010. December /write/shimomura atsuko
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